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2008年1月29日 (火)

介護保険制度を原点にもどそう!国会集会。

詳細な集会案内を持たず、行けば分かると安易に出かけ、もたもたして開会時刻に5分遅れたため、参議院議員会館受付で立ち往生。中に入る階段には男女3人の衛視が立ってるから突破できないし・・・。さてどうしたものか?と思案中のところへ、集会チラシ持参の文京区議・前田さんが到着。主催者の受付担当が出てきてくれてやっと会場へ。よかった!前田さん、助かりました。


介護の社会化とうたわれ、2000年4月から始まった介護保険制度。

介護の社会化とは、必要な介護をうけ自立した生活ができるように、また家族も疲労困憊することなく自立した生活ができるよう社会的に支援することであり、それは制度の根幹に据えられていたはずだ。

ところが2005年に制度を維持するための給付制限ばかりに重点がおかれた改正によって、ホームヘルプは月額定額制でサービス時間が減らされ、家族がいる場合にはサービスがうけられない、デイサービスの日数の削減、施設入居者の自己負担が増えて低所得層の入居が困難になるなど、結果として家族の崩壊や高齢者虐待の一歩手前という状況が各地で深刻になっているという。

今、利用者や家族がどんな状況におかれているのか、安心して利用できる介護保険にしていくためにはどうしたらいいのか、各地の現場で介護に携わる人々が、国会への意見と要望を伝える集会が行われた。

介護人材が不足したままで利用者や家族などの怒りや失望が蔓延している中、国はなぜ放置しているのか。
介護保険制度で認知症をどう位置づけるのか、国の介護給付費改正を審議している場でその議論もない。
家族を介護労働から解放するはずの制度が、利用者の多い人気サービスから削減している。

集会は認知症の人と家族の会、介護事業のNPO,、ケアマネジャー協会、介護者を支えるNPO,利用者など、介護現場での活動実績を高く評価されている団体からの代表者が発言者となり、次期改正が予定されている,2009年に向け、崩壊の危機に瀕している介護保険制度を原点に戻し、利用者が納得できる制度にと熱く訴えた。


今日の集会は市民福祉情報オフィス・ハスカップ主催。
国会議員は民主党から衆参両院議員、秘書ら20数名、社民党の福島党首らが参加した。

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挨拶する大河原雅子参議院議員  参議院議員会館第二・第三会議室で。

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2008年1月27日 (日)

平和の森公園でウォーキング

「平和の森公園でウォーキングをしながら、おしゃべりしません?」とH本さんから電話があった。

もう80歳に近いお歳でも自営業で忙しく、土曜の午後と日曜日だけがゆっくりできる時間なので、よく平和の森公園芝生広場の周りを歩いているという。

「選挙以来、あなたのことが気になっていて、もうそろそろいいかしら?と思って誘ったの。」とこの日を待っていてくださったのだそうだ。

今日は燦燦と陽はさしているけれど、風が強いためか、ジョギングやウォーキング、凧揚げ、ボール投げを楽しむ人たちは思っていたほど多くない。

我が家の庭と言えるほどの近さにありながら、日ごろはご無沙汰している平和の森公園で、遠くのかすかに見える富士山を探して眺め、そして今の政治のこと、H本さんの若い頃のこと、O市で市議をしているお嬢さんのA川さんのこと等など、歩きながら、またベンチに腰掛けて・・・・・たくさん話をした。

気持ちのいい午後の3時間。
H本さんの温かい気遣いに心から感謝。

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この場所は周りの木々が風をシャットアウトしている陽だまり。公園の中の一番暖かい場所は猫が良く知っている。私たちも一緒に日向ぼっこ。


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池には薄氷。

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江古田にお住まいの漫画家で、映画にもなった「夕凪の街、桜の国」の作者、こうの史代さんが仲立ちとなって、一昨年の秋に広島の市民団体から贈られたベビーポップラがこんなに大きくなって真っ青の空に伸びていた。

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2008年1月25日 (金)

「自殺」を隠された死から語れる死へ

気が付けばもう1月も終わりに近い。
一日が本当に早く過ぎて行く。

24日の午後、地域の自殺対策を進める活動をしている地方議員有志の会が新宿で開かれた。

自殺対策基本法成立に向けて活動を進めていた横須賀市の藤野英明議員の呼びかけでスタートした一昨年から、年に2回ほど東京、神奈川、宮城、京都、大阪などから集まって学習会を行ったり、それぞれの議会質問や自治体の取り組み状況などの情報交換をしている。当初からのメンバーだった私も参加させてもらった。

今回は
1、昨年12月に神奈川県平塚市で全国初の自殺対策のための条例を議員立法で成立させた江口友子議員から制定過程について話を聞くこと、
2、自死遺族の悲しみを分かち合おうと「藍の会」を立ち上げ、自殺防止に向けた活動を進めている仙台市の田中幸子さんを招いて話を聞くこと。
が主な内容。

平塚市議の江口さんの取り組みは議会の他の議員への働きかけ、連携が成功したいい例として学ぶべきものがたくさんあったし、田中さんはご自身も息子さんを自殺で亡くされ、自死遺族の悲しみを分かち合おうと活動を地域で広げているお話からは自死遺族を支えていくための活動のあり方など、今後の課題も含めて受け止めた。これから私自身が地域で自殺防止対策を進めるための活動に生かしたいと考えている。

日本の年間の自殺者は昨年までの9年間、毎年3万人を超えている。
介護疲れ、多重債務、いじめ、過労によるものなど、ほとんど毎日、自殺についての報道がある。
国内の交通事故死は2006年がおおよそ6300人で自殺者数の5分の1だ。
自殺率(人口10万人あたりの自殺者数)はアメリカの2倍、イギリスの3倍。
日本は先進国の中で自殺者が群を抜いて多い。

この10年間の日本の自殺者は我が中野区の人口と同じ30万人。中野区と同じ人口規模の自治体が無くなったということと同じだ。

その中野区でも区の統計から見る自殺者は年間60人、2006年までの10年間で600人を超えている。
でもそうした現実を知る人が少ないのは、まだまだ自殺が「勝手な死」とみられていること、そして自殺が隠されているから。

身内の自殺は「恥」という意識が根強いため、多くの遺族は深い悲しみの中で誰にも話せず自身を責め、トラウマを抱えて生きている。

今、ようやく日本でも自殺を「自殺する個人」の問題だけに止めるのではなく、「自殺する個人を取り巻く社会」に関わる問題として取り組むべきだという考えが主張されるようになり、一昨年6月に自殺対策基本法が制定され、国や自治体の取り組みが少しづつ進められるようになった。

「自殺は避けられる死」であるという認識のもとで行う総合的な対策が必要だ。


30年前、私は1年半の間に2人の身内を自殺で失った。
うつを病んだ2人の身内の通院に付き添い、1人とはともに暮らしながら自殺を止めることができなかった。
2人とも生きることに苦しんで、苦しみぬいた末に自ら命を絶った。

ともに暮らした身内の自殺の第一発見者は私。
その時の光景は今もまぶたに焼きついたまま消えることはない。
自責の念からも開放されていない。

私が身内の自殺について話せるようになったのはここ2~3年のことだ。
自殺防止に向けた活動をしている、NPO「ライフリンク」の集会に参加したことがきっかけだった。
親を自殺で亡くした青年が、自分を責め苦しみながら、同じ思いをする人を少しでも減らすために重い口を開いているのを目の当たりにしてからだ。

しかし他の人に話せるようになったのは私だけ。
30年を経た今もなお残された身内の者の悲しみや苦しみに変わりがないことを知ったのは、つい2ヶ月前の晩秋の旅先だった。

夫も未だ口を閉ざしたまま語ることはない。
私とはまた違う苦しみを胸の内に押し込みながら耐えているのだろう。

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2008年1月 7日 (月)

七草がゆ

今日七日は二十四節気のうちの小寒。
過食気味の一週間だったので、七草がゆがお腹にやさしく美味しい。

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門松や玄関飾りなどを頼んでいるとび職人さんが、昨夕我が家の小さな門松を軽トラックに乗せて下げて行ってくれた。黙って作業をしていってくれるのはいつもながらのこと。

三寸玉サイズの玄関飾りや水廻りに飾るシンプルな輪飾り、小さな鏡餅などを片付け始めたら、夫から「十五日の小正月までそのままにしておいて」と声がかかって手を止めた。七日に片付けたがる私と小正月までが「うち流」という夫と毎年もめる。

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ウラジロやゆずり葉、小みかんの葉もくたびれてきた。早く下げないとカビが生えて楽しみにしている「餅ピザ」をつくれなくなる・・・


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暮れに活けたときには固いつぼみだった梅の花が暖かいお正月できれいに開いた


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2008年1月 5日 (土)

私たちの年賀状。

年が明けてせっせと年賀状を書いている。

元旦の午前中、夫は我が家のポストに配達される年賀状を今か今かと毎年楽しみにしていて、郵便配達のバイクの音が聞こえると真っ先に取りに行く。なのに自身はここ数年、年明けに年賀状を書き始め、松の内に書き上げて投函している。


明けましておめでとうございます。
お健やかに新年をお迎えでしょうか。昨年は想像もしなかったような事件が次々に起きて驚くことの多い1年でしたが、私たち夫婦にとっても思いがけない出来事が続いた年でした。
病気には無縁だった和雄もここ数年、加齢による体のほころびが少しずつ出てきていましたが、昨年7月に受けた精密検査で早期の前立腺がんが見つかり、夏の終わりから7週間の通院で放射線治療を受けました。現在はその副作用も取れて好きなお酒やカワハギ釣りもほぼ元通りに楽しめるようになりましたが、がんが消滅したかどうかは今年5月頃の検査で分かるのだそうです。
昨年4月の選挙では皆様から幸子への温かいご支援をいただきながら、ご期待に応えることができず本当に申し訳なく思っています。改めて御礼とお詫びを申し上げます。昨年の後半は充電期間にと静かな日々を過ごしましたが、今年はまた元気に活動を始めようと思います。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。
  2008年1月1日        服部和雄・幸子
       

この年賀状を親戚、友人、元同僚など、お世話になった方々、お世話になっている方々へ送る。47の都道府県のほとんど全部にまたがる。


ところで毎年11月に入ると「喪中はがき」が届き始める。昨年末までに我が家に届いたのは30通だった。
いつも気になるのが、「喪中のため新年のご挨拶を失礼させていただきます。」と「喪中のため新年のご挨拶をご遠慮申し上げます。」の2種類のパターンがあることだ。
「失礼させていただきます。」が適切だと思うのだけれど・・・どうなんでしょう?

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2008年1月 3日 (木)

新年のお喜びを申し上げます。

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清々しかった元旦の空。平和の森公園から。


大晦日、紅白歌合戦を楽しみながら寒河江蕎麦で年越し。
我が家流のお正月のしつらえで元旦の朝を迎える。

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我が家のお雑煮は関東田舎風。のしもちと鶏肉、大根、人参、里いも、筍、小松菜入りのすまし仕立て。

年賀状で親戚、友人、知人の近況を楽しむ。

午後からいつものように我が家の氏神様である沼袋氷川神社へ初詣。
小一時間ほど行列に並び本殿にお参りをした後、破魔弓を購入。境内で奉納神楽を見ながらお焚き上げの火で冷え切った手足を暖める。

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家を離れている子どもたちや姪、子どもたちの友人なども集まり、元旦の夜は午前3時過ぎまで賑やかに新年の祝い膳を囲む。

年越しの夜から元旦のいつもと変わらぬ我が家の風景。


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今年もどうぞよろしくお願いいたします。


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